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インタビュー内容紹介

polarisの新企画 "Another Try! 〜東大女子の浪人体験記〜" 、第8回は、広島県出身の文科2類2年生、Y.T.さんにお話を伺いました。



都道府県:

広島県

名前:

Y.T.さん

出身高校:

地方、中高一貫、公立

入学時の科類:

文科二類

進学先:

教養学部後期課程 統合自然科学科 認知行動科学コース

中学の部活:

なし、習い事として新体操

高校の部活:

科学研究部、(書道、バドミントン)

現役時代の勉強・部活について

ー現役時代も東大志望だったのですか?

 はい。東大志望にしたのは高校1年生の時です。オープンキャンパスに学校単位で来て、その時にいいなと思いました。当時は特に何学部に行きたいというのはなかったです。

ー東大を目指した理由は何でしたか?

 高校1年生の時は理系だったのですが、興味があったのは外国語や社会のこと、国際問題など、文系の内容だったんです。自分が理系なのか文系なのか、よくわからなくて。東大には途中からでも文理を変えられるシステム*があり、全部の分野においてトップクラスの人がいる東大に魅力を感じました。

注1:進学選択制度のこと。

参照:https://www.utcoop.or.jp/start/karui.html

ーということは、理転されたんですね!

 そうですね。小学生の時から数学や理科が得意で、国語が苦手だったから、自分は理系だと思っていて、このまま理系に行きそうだったんです。もしかしたら、高1の時は理系の科類に入るつもりでいたのかもしれないですね。

 高3になるときに、文転することを決めました。文系の中でも、数学とかが得意だったから、得意なものを選んで文2にしました。他の高校なら、高2の冬から受験一筋みたいな感じになりがちだと思うんですが、自分の高校が高3の夏までガンガン体育祭やっちゃう感じ。歴史とかも高3からだったんです。でも、最初から浪人する気は全くなかったです。

ー部活は?

 ガンガンやってましたね。科学研究部の論文を出して、結果発表をするのが高3の秋くらいだったんです。学校に居残りするレベルでずっとやっていました。常に部活か受験勉強のどっちかをやっている感じでした。週に何回か、この日は集まって実験をやろうという日があって、8時まで学校に残って部活をしていました。それ以外の日は学校の自習室で受験勉強してました。よくやってたわ〜笑

ー勉強と部活の両立は本当に大変ですよね!

 でも、部活と受験勉強では全然資質が違うから、両方とも気分転換になりました。

ー現役時代は塾には通っていたんですか?

 高3の6月から、社会だけ通い始めました。学校のカリキュラムだとどうしても間に合わないことに気づいたんです。高3の夏ごろからは英語も始めました。苦手科目を中心に、という感じでした。

 塾に行かなくても学校の勉強にはついていけていたから、初めは塾には行かないつもりでした。大手予備校に比べると情報量少なかったですが、わたしが通っていた地元の塾はすごく面倒見がよかったです。

ー現役の時はどんな受験をされたんですか?

 国立は東大(文2)、私立はセンター(現・共通試験)利用だけにしました。私立は経済学部を受験しました。

ー現役時代の手応えはどうでしたか?

 センター試験はほとんど完成していた感じで、そこそこ取れたんです。東大を受ける人の中ではすごく高いわけではないけど、足切り(第一段階選抜)は問題ないレベルでした。センター利用の私大は合格をもらっていました。

 二次試験の方が大変でした。あと30点足りなかったんです。落ちた人の真ん中らへんでした。英語がだめでしたね。国語と社会は苦手だったのですが、最後一週間でできるようになって、ほどほどまではできるようになりました。そして数学は、できると思ってたらできなかったんです。得意科目だったし、勘で解けちゃうからあまり勉強しなかったんですね。他の科目に比べて意味不明じゃなかったから、時間をかければ解ける、という感じではあったんですが……。ちゃんとした(東大向けの)対策をしていなくて、これが出たらこれを書く、というような対応ができなくて点数が取れなかったんだと思います。試験が終わった後、これはだめだと思って、浪人は覚悟してました。

ー受験する前から、東大がだめなら浪人しよう、と思っていたんですか?

 最初は浪人する気はなくて、東大に落ちたら私立に行こうと思っていました。ですが、受験の前日に東大の駒場キャンパスへ下見に行った時、とある学生団体の方から、いろいろと活動している話を聞いたんです。そこで、「大学生はこんな活動するんだ!」と驚いて。こういう活動をしている人たちが東大にはたくさんいるんだなと思いました。それで、現役で落ちたら浪人しようと決めました。

ー下見の日に浪人を決めたんですね!

 そうですね。だから、試験が終わった時には、ダメだったな、じゃあ浪人しよう、という感じでした。試験ができなくてショックな気持ちと、これから頑張ろうという気持ちが同時に来ましたね。

ー浪人したいと言った時に、周りの方の反応はどんな感じだったのですか?

 親は、「でしょうね」という感じでした。母親は、私が一回決めたことはどうしてもやりたいという人間だと知っていて、現役でだめなら来年も受験するだろうなと思っていたらしいです。私は、「浪人しないよ」と言ってたんですが……。

 私の学校は、浪人する人が結構いたので、浪人すると言っても全然びっくりされなかったです。周りの人も医学部に行くために浪人している人がかなりいましたね。

浪人時代の生活について

ーでは、浪人時代のお話を伺っていこうと思います。浪人時代は塾に通っていたのですか?

 広島から上京して、大手予備校の本郷校に通っていました。その塾の寮があったので、そこで生活をしていました。

ー上京してきて、広島と大きく変わったことはありますか?

 まずは、広島とは受験に関する情報量が全然違うことです。次に、環境の違いが大きかったですね。実家には自分の部屋がなかったのですが、東大の受験時に泊まっていたホテルではすごく勉強が捗ったんです。それで、一人だと勉強できるんだ!と気づきました。

ーひとりで上京することはとても大きな決断だったと思うのですが、不安などはありませんでしたか?

 実家を出て勉強することが自分にとってプラスになる、ということは母親とも意見が一致していました。実は、「浪人のために東京に行ってもいいよ」と言ってくれたのは母親だったんです。私は東京に行くのもありかなとは思っていましたが、お金がかかるし自分からは言いづらくて。母親が東京に行くという選択肢を与えてくれた感じでした。

 不安というより、いけいけどんどん、という感じです。まあいけるだろう、と(笑)。

ー浪人時代の勉強について教えてください!

 浪人の1年間って、普通だったら、現役時代の受験勉強の方が長くて、浪人はプラスアルファのちょっとってイメージですけど、自分の場合はほとんどゼロから、という気分でした。受験勉強の半分以上は浪人時代に得たものだと思います。

 塾では、一から積み上げていく感じでした。ほんとうに基礎からで、私はそのカリキュラムに全部乗っかっていました。

 現役の時は、自分流で勉強しているから、イメージ的には「倒れやすそうな塔」でしたね。フィーリングで解こうとしていたので。だから、「浪人の1年は全部の科目で基礎を固めてからしっかりやろう」と決めました。それが面白かったです。そういうことだったのか!とわかる感じで。楽しかったですね。

ー予備校と高校ではどんな違いを感じましたか?

 予備校では、「ちゃんと教えてもらった」という印象があります。高校の時は、その場で問題が解ければいいと思っていたんです。でも予備校では、解き方まで合っていないと正解にはならないので、フィーリングで解くのはやめました。また、東大受験のためのテクニックは東京に来てから教わりました。

ー塾で面白かった先生はいましたか?

 漢文の先生がすごかったですね。その先生のように、詳しく本質的なことまで教えてくれる人が広島にはいなかったので。人柄も面白いし、受験テクニックも一個一個新鮮でした。

ー寮ではどんな生活をしていましたか?

 友達と一緒に住んでいたので、一緒に塾に通ったり、ご飯食べたりすることでリフレッシュしていました。それに、寮の生活が規則正しかったので健康的でしたね。7時に起きて、12時までには寝ていました。夜の10時に塾の自習室が閉まるから、そのあとは部屋に帰ってお風呂に入って、という感じで。塾でいっぱい勉強しているから、部屋で夜更かしして勉強する必要もないですしね。

ー家族と離れて暮らすのはどうでしたか?

 気を張ってたせいで五月病みたいにはならなかったのですが、7月にホームシックになりました。塾の夏休みが7月の半ばからで、その直前でしたね。それまでは広島に帰りたいといいながらも普通に生活していたんです。でも、何かで中学校時代の友達とLINEをした時に、将来のことがいきなり不安になってきて。それまで我慢していたのが原因で、何もかもが不安になってしまったんです。無理すれば勉強はできたかもしれないけど、勉強しないといけないと思うのはやめよう、と思いました。最低限やらなくちゃいけない勉強だけはやるけれど、それも楽しくできるものだけに絞りました。ブレーキをかけた感じです。

ー勉強していると、不安に襲われることはありますよね…。寮に住んでいるときはどのくらいの頻度で帰省をしていたんですか?

 夏休みに2回、広島に帰って充電しました。ただ、九州とかから来ている人は帰れないことが多いですね。

 それでも鬱状態は治らなくて、不安になるときはありました。ですが、一気に休んでしまうと勉強ができなくなるのが怖かったので、うまいことやらないと、と思って。心の状態が完全に回復したわけではないけれど、ちょっとブレーキをかけながら低速で進む、という感じでした。友達に相談したりもしていましたね。

ー2回目の東大受験はどうでしたか?

 フィーリングではなく、「これはこうだから合ってる」と確信を持って解けましたし、落ち着いてできました。すごい自信があったわけではないけれど、「解けたところはちゃんと合っているな」という自信がありましたね。

ー浪人して良かったことはどんなところですか?

 メンタル的な面で、自分にもそういうこと(不安になる)が起こりうると知ることができたことが大きいですね。「病む」という状況を知らなかったから、こういう人もいるんだ、と。勉強に関しては、基礎の積み重ねができたので、大学の勉強でもそれが生かされました。

東大での進路選択

ー1年間の浪人を経て、東大文科2類に。文2は経済学部に進学する人が多い*ですが、どうして認知行動コースに進学したのですか?

 もともとやりたかったのが理系と文系の間の学問でした。それは高校の時からぼんやりと思っていたんです。文系か理系のどちらかに偏るのはいやで。以前はその「間」にあるものは経済だと思っていたのですが、心理学もそうだと知ったんです。それで、東大で心理学を扱う学部学科の中でも、先生をよく知っていたのが後期教養学部の認知行動コースでした。

 心理学に興味を持ったのは、1年生の時に臨床心理学概論を履修したことが大きかったですね。もともと障害者の支援に興味があったんです。それに加えて、自分の浪人時代の経験から、元気な人でも鬱状態などになりうるというのがわかったので、臨床心理学に興味が湧くようになりました。

ー将来の目標を教えてください!

 まだあまり決まっていないんです。今も本当に悩んでいるところで。とりあえず広島で働きたいですね。心理学系のことを扱う仕事、例えば、障害をもった人が活躍できるような就労支援や、メンタル系の支援に何らかの形で関われたらいいな、と考えています。それと、広島の平和活動もやりたいです。核廃絶を訴えるのは広島の人の役割だと思っています。広島出身者という立場で何かをする価値があるのかなと思いますね。

メッセージ

ー最後に、女子高校生・浪人生に向けてメッセージを!

 とりあえず目の前のことを頑張ればなんとかなる!友達とか、周りの人には頼ろう!

 東京は、想像の100倍くらいすごいところです。東大にいるような人は広島では見たことがなかったので(笑)。「東京は危ない」という人もいるけれど、そんなにゴミゴミしてないし、優しい人もいるし、思ったより治安がいいところですよ。