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インタビュー内容紹介

polarisの新企画 "Another Try! 〜東大女子の浪人体験記〜" 、第10回は、大阪府出身の農学部3年生、N.Y.さんにお話を伺いました。



都道府県:

大阪府

名前:

N.Y.さん

出身高校:

地方、中高一貫、私立

入学時の科類:

理科Ⅱ類

進学先:

農学部

50点の壁

ー浪人を決めたとき、周囲の反応はどうでしたか?

 私は「行けなかったら浪人しよう」と決めていましたし、友人も浪人の方が多いくらいだったので、浪人は不本意ではなかったです。一方、特に親を説得するのが大変でした。

ーどうしてですか?

 実は現役のとき、東大は50点差で落ちたんですが、後期試験で別の国公立大に受かったんです。東大の点数から、両親も「東大に全く届かなかった」と分かっていたので「後期で受かったところでいいんじゃない」と強く勧められました。でも、私はどうしても東大に行きたかった。

ー50点という大きな差で落ちて浪人した方はこれまでのインタビューの中でも珍しいですね。それでも東大を選んだ理由を教えてください。

 東大に惹かれていたのと、家を出たかったのとで2つ理由があります。

 東大には多様な人が集まるだろうと期待して、視野を広げたかったので志望していました。

 家を出たかったのは、端的に言うと両親とそんなに仲が良くなかったからです。高校生のとき、親の考えに自分が染まってる感じがとてもしてて、それがすごい嫌だったんです。だから一回家出て考えるべきだろうと思いました。自分で考えて生きるっていう経験をすべきだろう、と。一人で暮らす経験をしたかったんです。

 あと、私は関西への愛が強い方で、このまま関西の大学行ったら一生出ないなって思って。「それは面白い人間にはなれないぞ」って思ったから出てみました笑

ーどうやってご両親を説得しましたか?

 親と「なんで合格できなかったんだ」っていう話もしたし、「なんで受からなかったんだ」って話もして、プレゼンをしました。親に自分の意志を伝えたとき、「夏の駿台の東大実戦か河合の東大オープンで、理1理2どっちかA判定とれなかったら、秋学期から後期で受かった大学に復学しなさい」って言われました。じゃあもう「そうします」って言うしかなくて。一旦その大学には入学手続きをして、入学金を支払ってもらって休学手続きを済ませました。そういう覚悟の上で駿台に入学しました。

予備校選びから始まった、合格への道筋

ー予備校はどういう基準で選びましたか?

 多様性やタフな環境を求めて選びました。駿台の別校舎には高校同期がたくさんいたんですけど、浪人中はあまり関わらないと割り切り、駿台を選びました。そこは関西全域から生徒が集まるし、規模が別校舎とは数倍も違うし、良い先生も来るんです。

ーストイックですね。どんな浪人生活を過ごされましたか?

 4月からきちんと、毎日朝9時か10時くらいから夜21時くらいまで授業を受けたり自習をしたりして予備校で過ごしていました。4月からこのスタイルを実践している浪人生って実はあんまりいなくて。夕方18時で帰っちゃったりとか、朝じゃなくて昼から来る人とかだったり。クラス担任(注1)に「4月から毎日やってて偉いねー、絶対大丈夫だよ」っていうことを言われて、「こうやって応援してくれる人がいるんだ……」って感動しました。

注1:事務的な手助けやメンターをしてくれる先生

ーモチベーションはどうやって保ちましたか?

 まず、悔しい気持ちを忘れたらダメだと思ったんです。当時の私は、「新しい経験をしたくて東大を選んだのに、自分は置いてかれていて、同い年の友達が先に大学に行って新しい経験をしている」と思うと本当に嫌になって、東大に現役合格した高校同期に頼んで、入学式や五月祭(注2)などの大学生活の写真を送ってもらったり、Twitterで「uts1(注3)」って検索したりして悔しさを倍増させていました。

 もう一つは、「効率的にやる」っていうのを毎日ずっと勉強しながら意識していました。50点ビハインドっていうのは、周りの現役の子よりも全然できてないと思ったから、効率的にやらないと絶対に合格できないと思って。

注2:五月祭は東大で行われる学園祭の一つ。毎年5月に本郷キャンパスにて開催。polarisも出店している。

注3:UTはthe University of Tokyoの略。文科(文系)か理科(理系)かで、LiteratureもしくはScienceとなる。「uts1」は理科1類。

ーこの2つを達成するために、何か行動しましたか?

 毎日勉強記録をノートに書いてその意識を持続させるようにしていたのと、真面目に勉強する仲間をみつけました。

 勉強記録をつけるときは、やったことも書いたし、やった時間も書いて、量も質も記録しました。

 知り合いに全然会えない校舎を選んだこともあって、新しい友達が欲しくなりました。やっぱり、高校同期などの知り合いが周りにたくさんいると「一緒にいなきゃ」と思って人間関係で気が散ってしまうこともあると思うんです。私はまっさらな環境で浪人生活を始めたので、いつも自習室にいるような真面目な子と交流してモチベーションを保ちました。今思えば、予備校選びは間違っていなかったと思います。

勉強するしかない

ー浪人生活を始めたときはどんな感じでしたか?

 予備校入学時は4クラス中、下から2番目のクラスに入りました。周りは神戸大志望の子ばかりで。私は後期で神戸大と同じレベルの大学に受かっていたので、「なんだか申し訳なく思ってしまいました。」って思っていました笑

ー浪人期で辛かったことと、その乗り越え方を教えてください。

 「浪人」っていうと辛そうなイメージがあるけど、私からすれば他のときに比べるとそんなに辛くないです。勉強してるだけでいいから笑

 強いて言えば、劣等感と、夏の模試で良い判定をとるまでの親とのバトルがしんどかったです。

 「現役合格の同級生に置いていかれた」というのもそうだし、下から2番目のクラスで、他の東大志望者に大きく遅れをとっている事実を突きつけられながら勉強しているのもあって、劣等感は増しました。

 乗り越え方は、もうただただ勉強するしかなかったです。クラス担任や友人のおかげで「勉強は楽しい」と思えたから、予備校にいる間は楽しく過ごしていました笑 毎日同じことをしているから、もちろん勉強するのがダルくなったり嫌になったりはするんですけど、それでも毎日6時間から11時間は普通に予備校にこもっていて、むしろ予備校が家みたいな感じでした。

ー勉強に集中できる場所があったのは良かったですね。

 本当に良かったです。乗り越え方でもう一つ、成功体験を積めたというのがあります。

 幸運にも夏の模試で、親と約束していたA判定をとることができました。加えて、当初の下から2番目のクラスから、最上位のクラスへと秋から編入することができました。編入試験は2、3人しか合格できず、しかも倍率は50倍以上だったので合格できて「まさか」と思うくらいでした。

 そこから一気に「私がやっていたことは間違っていなかった」という自信になりましたし、結果が出たら勉強が楽しくなるから、さらに楽しいと思えるようになりました。編入したクラスは、人数が少ないから教科ごとの先生との距離が近くて質問も行きやすいし、クラスに東大志望がいっぱいいるから、模試の話がしやすくなりました。同じ東大理系を志望する友人が5人程度しかいなかった現役時代に比べると、同じ目標をもつ友人がいっきに 30人以上できて嬉しかったです。普通に「勉強楽しいしここにいられるのが楽しいな」と感じ始めました。

ー浪人期の前半が苦しくて、後半からは成績も伸び始めて楽しかったんですね。

 そうです。友達も増えたので、入試本番のときも心強かったです。

 現役のとき、二次試験の周りの空気が怖く感じたんです。本郷キャンパス(注4)は駅から大学までの道が狭いから報道陣が近くて、しかも多かったんです。それが本当に怖くて。耳慣れない標準語も気持ち悪く感じたし、関西と違うから景色すらも怖かったし、女子校だったので男子がたくさんいる環境も慣れなくて、「頑張れよ」って言われても孤独感がすごくて。アウェイだったのでプレッシャーとしんどさでしにそうでした。現役のときは赤門前で大泣きしちゃって。ホテルでも空港でも泣いていました。

 一方、浪人して30人理系の友達ができたら、試験本番でも割と会うんです。とても仲が良かったので、LINEグループで試験前に励ましあったり、当日昼休みとかもちょっと喋ったりとか。「一人じゃないな」って思えました。

注4:例年、東大理系の二次試験は本郷キャンパスで行われる。文系は駒場キャンパス。

浪人期に考えたこと

ー浪人期に強みになったことを教えてください。

 浪人することで自分の弱みを克服できるケースが多いとは聞きますが、私の場合はタスクのこなし方と強い意志の持ち方の2点でした。

ータスクのこなし方はどういったものを目指していましたか?

 効率の良い勉強を目指していました。まず、目的意識を絶対にもつようにしていました。「ここから吸収できる部分は搾り取ってやる」と常に思い続けることが一番いいと思って、それを思い続けるにはどうすればいいんだろうと考え続けました。ゴールから全部逆算して、合格という最終ゴールのための次の目標は、夏模試でA判定をとる。そのためには基礎固めをしなきゃいけない。「このテキストで基礎固めをするぞ」というのを書き出して、テキストの表紙に貼ったりして開く前に読んで、「この計算力をつける」という目標などを問題を解く前に意識してから解いていました。

 あとは、ちょっとでも悩んだらできるだけ質問に行くようにしていました。悩んでいる時間がもったいなかったからです。昔は、「こんなのもできないのか」と思われるのが怖くて、質問に行けなかったのですが、自分を変えようと思ったから行動に移しました。

 そこで、先生に「どんな勉強をしたらいいですか」って何十回と聞きましたが、「特に夏までの間は基礎以外やることないよ」って言われて。「駿台のテキスト以外にやった方がいいですか」って聞いたら、「駿台のテキスト、本当にちゃんとできてるの?」って言われて。「あっ、できてない」って思ったから、ちゃんとやろうと思って素直に基礎をひたすらやっていました。なんなら、受験直前まで過去問を全然やってなくて、ずっと復習ばっかりしていました。2月も勉強時間の半分はそれをやっていました。

ー過去問演習を直前期によくやると思うのですが、そんな思い切ったやり方は成功体験や自信も必要だと感じますが……。

 基礎ばかりやるのは私だからできたとも思います。基礎より応用がやりたい性格で、現役時は基礎を疎かにして応用問題を面白がっている節がありました。だからこそ意識して基礎を叩き込んでしまえば、自然と応用問題も解けるようになっていったんですよね。

 勉強の記録も、効率の良い勉強をするために必要だったと感じます。1日の過ごし方を振り返りやすいので、自分の勉強方法を毎日グレードアップできて、アイデアや計画が立てやすかったです。やったことだけじゃなくて、その日に一番学んだこともメモしたりしていると、模試の前に見直してパッと思い出せるから、良かったです。勉強の記録に付随して、過去問を解くときも、「過去問も無駄にしてはいけない」と思っていたから、過去問を解くたびにそれも勉強の記録と同じように記録していました。時間配分やできなかったところなどをメモして反省するノートを作っていました。

ー精神面の成長についても教えてください。

 「置いていかれている」意識を1年間植えつけられるのは本当に、想像以上にしんどくて、自分ととことん向き合う1年間になりました。浪人生活は学力面・精神面の弱さをみつめ、乗り越え続けることの繰り返しだった一方、ダメな部分を見つめ直す以上に自分の精神を保つために「自分はやりたいことがあるからここにいるんだ」と意識する必要もありました。そういった面では、ダメなことを見つめ続けるより、自分が本当にやりたいことをみつめる1年間だったなと思います。

ー自分が本当にやりたいことというのは?

 なんで東大に行きたいのか、とかですね。「自分は自分でやりたいことをやろうと思って浪人を選択しているのに、なんで現役合格した友達を羨んでいるんだろう」と思って、自分の浅はかさ、他人を羨んでしまう自分の弱さを自覚できました。加えて、「後期で受かった大学への進学ではなく浪人を選んだ」と言うために、「東大に行って視野を広げたいからここで勉強しているんだ」という決意を確固たるものにしました。

ー他の浪人生を見て感じたことはありますか?

 「頑張っても報われない世界があるんだな」という諦めに似た感情を抱くようになりました。事実、浪人して当初からの第一志望に受かるのは1割もいないんです。大半の人は真面目に勉強しているんだけど、それでも報われない人はいる。そういう人は周りにいたし、たくさん見てきました。医学部クラスは1浪じゃなくて2浪が普通だったりしますし。諦めきれなくて、終わりが見えなくてズルズル引き込まれる世界なんです。本当に自分の環境と運に感謝するようになりました。

メッセージ

ー最後に、浪人している女子学生や浪人を考えている女子高校生に向けてメッセージをお願いします。

 浪人はしんどいと思います。楽観視して「浪人したら受かるやろ」という気持ちでやるべきではない。メンタルもどん底になるし、もしかしたら人生を棒に振るかもくらいで考えた方が良いです。ただ、それをしてでも行きたいところとかやりたいことがあるなら、ぜひやってほしい。人生を棒に振る可能性はあるけど、それ以上に学べるチャンスとか学べる機会がいっぱいあるので、それなりの覚悟があるならぜひ頑張って欲しいし、応援している人はいっぱいいます。一人じゃないです。